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愛し方愛され方

死んだ動物に執着しすぎていると、ある人に言われたことがあった。

この人は、飼っている大型犬にしつけを一切せず、人を噛む犬で、
いたずらをすれば棒で叩いているような
とても頭の悪い人なので、
この人が言うセリフとしては、納得のいくものでした。
ちなみに犬はGRですけどね。こんなに賢い犬を飼っていながら・・
飼い主がバカだと犬は病んでしまうんだと知りました。

この人は動物を愛することを知らない。動物に愛されることもきっと知らない。
目と目が合って、気持ちを伝え合ったり、笑い合ったり、時にはケンカもする。
そういう経験をしたことがないのだから、
私の話す内容を聞いて、執着していると勘違いしてもおかしくはない。

死ねば山に埋めてさようなら、なのだ。
こんな人間なら、ペットロスなんて言葉は知らないんだろうなぁ。

「あんたはもっともっとペットに執着するべきだよ!」とは言えなかったんだけど・・
職場での立場上・・・

私とのんちゃんは、今もずっと繋がっていて
いつもお互いの存在を感じながら生きている。
愛しているし、愛されている自信もある。

そういう関係になれたことも、すごく幸せだし
そんなふうに亡くなっても、ずっと愛し合っている飼い主さんと動物を
たくさん知っている。
私だけが特別なわけじゃないのです。

生前、どれだけ強い絆で結ばれていたか、
愛を与え合って、暮らしていたか。

全部、神様に試され、そして見守られているのだ。

ペットが亡くなって、何年経っていても、泣いたっていいのだと思う。
その涙は、悲しみの冷たい涙ではなくて、
少し温かい幸せな涙なのだから、何度泣いてもいいのだと思う。
ほんとーに楽しかったなー、こんなことあったなー、この時大変だったよねって
泣きながら思い出せるのは幸せなことです。

きっぱりけじめをつけないと、その子が成仏できないというような考えは
私は大反対なのです。

だって、亡くなった子が帰る家は、飼い主のところだけなのだから。
いつでも、好きな時に戻ってくればいいし
動物の魂と人間の魂の死後のシステムは絶対違うものだと
思っているので、
あの子達の魂は自由に瞬間移動している。
その自由を奪ってはいけないと思うのです。

いつだったか、のんちゃんには早く生まれ変わってまた新たな人生を生きて欲しいと
思ったことがあって、
お骨をどこか近所の山にでも埋葬しようと考えたことがあったんだけど
その時、のんちゃんが強く拒否してきたのです。

私(フランソワ)が心の底から納得した場所を見つけない限り、埋葬はしてほしくないのだと
伝えてきたので、それで私は骨壷を大事に私の傍に置いておこうと思い
可愛い骨壷カバーを作ったのでした。

埋葬してもいい時が来れば、また何か合図があるのだと思っています。
それは、のんちゃん本人からなのか、フランチェスコからなのか、どこからなのか
わからないけど・・

ペットロスに陥っている人の中には、もしかしたら強い執着で亡くなったペットを
繋ぎ止めようとしている人もいるかもしれない。
でも、それだけはいけないこと。
愛するペットの自由を奪うことでもあるのです。
亡くなって、痛んだ体を失って、永遠の自由を手に入れたあなたの可愛いペットが
自由に飛び回れないのは不幸なことです。

亡くなった原因や理由は様々で、複雑な思いを抱えている方もいると思いますが
それでも、亡くなった瞬間、みんな自由に瞬間移動できるようになって
天使のように飛び回り、好きなところに行って好きなものを食べて
神様に色んなことを教えてもらい、勉強もしながら、
大好きな飼い主にもちょくちょく会いに行って、
そんな、心地よい暮らしをしているはずだと私は思っています。

強い執着は愛することとは全く別のものですから
その辺りは混同しないで、ちゃんと区別しなければいけないなって思います。

のんちゃんは今日は私の所には来なかったなぁ(笑)

みなさんの愛するペットも今頃神様の庭で心地よく暮らしているのだと思います。。



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ペットロスのこと。

私がウサギと暮らしたのは、
フランソワ(ふーちゃん)との10日間と、のんちゃんとの8年4ヶ月。

色々な経験をして、今振り返ると楽しいことばかりではなくて、
正直、辛いことも沢山あったので、
今まさにウサギさんと暮らしている飼い主さんのブログとか日記を読んで
特に、闘病中の子がいたりすると、本当に胸が痛くなります。
飼い主さんも大変だろうなぁ…って思いながら、のんちゃんの闘病のことを思い出したりします。

のんちゃんは8歳4ヶ月で天国へ行きましたが、この年齢がどうなのかって考えることがあります。
ものすごく長生きしたウサギちゃんで13歳とか14歳とかってのを聞くと、すごいなって思うけど
それはその子の寿命というか、運命みたいなものがあると思うんですよね。

のんちゃんがあのまま13歳まで生きていたとしたら、苦しい毎日だったと思います。
傷んだ体を脱ぎ捨てるタイミングが8歳4ヶ月の時だったんだろうと思うので
もっと生きられるはずだった、という思いは私にはありません。

何歳で亡くなったかという、生きた日々の長さでその子の幸せを計るのはいけないなぁと
最近強く思っていて…人間も動物も。

ただ、最期の時や亡くなった後、心寄り添ってくれる誰かがいたかどうかというのは
重要だとは思いますけどね。

亡くなる理由や原因は様々だから、もしかしたら、病気で入院中だったり
不慮の事故で亡くなったり、別々の場所にいる時に亡くなることもあると思うけど、
亡くなった瞬間、その場にいたかどうかではなくて、
心がその子のそばにあり、心が寄り添っていたかどうか、っていうのがね、
大事かなぁと思ったりしています。

私が飼っていたウサギのフランソワは、
私が寝ている間に、私のベッドの隣のゲージの中で静かに亡くなっていましたから。
手を伸ばせば届く距離なのに、私は異変に気付かず寝たままだったので
そのことについて、しばらく悔やんだ時期もあったけれど
今は、「そういうこともある」と思っています。

ペットロスについて聞かれることがなぜか最近多いので、
ちょっとこんなことを書きたくなったのでした・・・。






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プロフィール

のんちゃん

Author:のんちゃん
黒ウサギ8歳女の子
 1998.11.24生まれ
 2007.4.5旅立ち

■飼い主 フランソワ

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